「よおし、わかったそこまでだ。立村、新井林」 靴下がびっしょりぬれていることに気付いたのは、声が聞こえてからすぐだった。立村が即座に振り返り、腰を浮かせた。
「本条先輩……」 健吾は動かないまま、もう一度口を結び頭を下げた。本条先輩が白いジャンバーを羽織ったまま、茶室をバックにふたりを見つめていた。めがねを外したままだった。完全なる無表情。石をひとつ蹴飛ばした後、立村に近づき平手で頬を張り飛ばした。
バランスを崩したのか立村は片ひじをつく格好で倒れかけた。 そいつを無視してすぐに、本条先輩は健吾の肩を叩いた。打って変わって意味ありげな笑みだった。
「新井林、大丈夫か。しんどかったなあ」「何でもねえっすよ。たいしたことじゃねえ」 殴られたとでも思っているのだろうか。その辺の誤解は解いてやろう。口を開きかけたが本条先輩は目で軽く合図を送ってきた。黙ってろ、って奴だろ。大人同士の意思疎通だ。
「今の時間だったら、茶室、誰もいねえな。ま、入ろうか」 石畳の色が完全に墨の色と同じ。少し痺れた感覚のある片足を引きずりながら、健吾は本条先輩の後ろを追った。初めて入る本式稽古用の茶室。腰をかがめないと入れないにじり戸を開いて、本条先輩は尻を突き出したまままず入った。健吾も続いた。初めて覗き込む茶室は四畳半で、ちょっと埃臭い匂いがした。畳の上に立った時、じわりと足跡が付いたのが分かった。 振り返り立村が立ち上がると同時に、「いいか立村。お前がこれから何をすべきかは、わかってるんだろうな」 答えなかった。膝にべったりついた泥をぬぐうこともしなかった。見下ろすように本条先輩の顔をにらみつけていた。健吾の方は全く眼中にないと、よくわかった。Paul Smith 腕時計「全く、だからお前はガキだっていうんだ。いつまでも甘ったれるんじゃねえ。悔しかったら新井林が納得するように完璧に片をつけてみろ。それができるまで、俺はお前と一切縁を切る。聞いてるのか」 ──おいおい、ホモ説の相手同士だってのに、そこまで言っていいのかよ、本条先輩。 立村の視線は次に健吾へと向いた。涙を雪で凍らせたようなまなざしだった。大泣きするのは時間の問題だろう。「わかりました。失礼します」 小さく一礼をすると、立村は背を向け全速力で茶室から離れていった。脱兎のごとくとはあのことをいうのだろう。本条先輩と目と目が合い、健吾はようやく立ち上がることができた。「ま、新井林、少しあったかいところに移るか。ごくろうさんだった。あのくらい言わねえと立村の奴、ちっとも答えねえからな。お前の言う通りだ。ガキはな、自分で自覚するのにどうしようもないくらい時間かかるんだ。ほんっと、腹立つくらいにな」 わざわざかばんまで持ってきてくれた。恐縮だ。関連記事: