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2011-02-15 20:44:22
自分の夢を抱えて、母親のもとから離れ、日本へ向かいます。# v4 D- N3 ?3 Q' u3 s5 b
同行四人です。空港で、厚いガラスの向こうにいる親に、手を大きく振りながら、号泣していた彼らをみて、
私も涙が止まりませんでした。
初めての飛行機、初めての海外、初めての私の日本です。
さすがに若い私たちが、さっきまで空港で泣いていたのに、飛行機に乗ったら、美味しい食事ときれいな空で
一気に気分が晴れました。もうすぐ日本に着くと思うと、胸が騒ぎます。
私は寮に住まないので、学校の先生が私を残して、ほかの三人を連れていたのです。別に一人でも行けると
自信満々の私が、トイレに行っても、洗面台の使い方がわからない。駅に行っても、
電車の乗り方がわからなかったです。けど、不安なんかは全然感じませんでした。
耳の聞き慣れてない言葉、
& 名前の知らないにぎやかな街、% \3 q9 L/ ?+ O/ c3 v+ @; L5 n7 T4 p& X
可愛い日本人女性の顔、
知らない周りが私にとって新鮮感いっぱいでした。8 s) O; l8 P5 D) f5 {/ _
2時間の道なのに、私は5時間を使って、ようやく友達の家に辿り着きました。お昼見ていたずらり並んでいる
高層ビルと、ハイスピードで走っていた車を思い出し、田舎から来た私が初日興奮しすぎて、眠れませんでした。
しかし、現実に戻ると、所持金わずかの五万円と、実家のトイレと同じ大きさの部屋で、
日本での留学生活を始めました。
天国に見える日本がいつの間にか地獄になってしまいました。電車にも乗ることがなく、自転車で2時間の通学。
思っていた日本料理の刺身、寿司じゃなくて、卵炒めと納豆の毎日。バイト先で汗を流しながら、
上のおっさんに怒鳴られる日々でした。
夢が叶えるように、日本に旅立ち、未来がどうなるか、わからないまま、時は流れていく。
今年の十月で、日本にきて五年です。同期はもう中国に帰った人もいるし、まだ相変わらず学校に通いながら
バイトで頑張っている人もいます。私は運がよく、自分で開業することができました。嫁ももらって、子供もできました。
五年間を振り返り、私の感情が鈍くなったかもわかりませんが、悲しいとも、懐かしいとも、言葉で表現できないです。
流していた涙と汗が報われます。お金、学歴、名誉をたくさん頂きました。嬉しい気持ちは隠せません。頑張ったらできる、
と私はそう信じて、やってきました。
しかし、日本に感謝の気持ちでいっぱいの私が、日本で亡くなった仲間や、病気と闘っている知り合いを見て、
胸が痛みます。やっぱり頑張ってもできないことがあるとのことに気付きます。でも諦めないで、
どんな苦しい峠でも乗り越えられたのに、ここでギブアップするわけにはいきません。
複雑な気持ちで、日本、ありがとう。